ヒビレコ

日々のことつらつらと。

ブログ書けないについて思うことつらつら。

書けないとは

  • 思うことがいろいろありすぎてまとまらない。
  • 思うことがなさすぎ(または忘れて)書けない。
  • 他の構想が邪魔して書けない。
  • 写真の整理が追いつかない(多すぎる)
  • ネタがない。
  • そもそも集中力がない。
  • ブログ内容に枠があるため当てはまらない。
  • 書いても読まれないから手が進まない。

思いつく限りそんなところ。「時間がない」は論外なので省く。

さらに掘り下げて書けない理由を考えると

  • 実は強い思い入れもないのに記事にしようとしているから。
  • 覚えてない。
  • 感情はあるけどネガティブだから。
  • キャラを演じて書いてるから。
  • 儲けるために書いてるから。
  • 魅せ方(デザインとか)を気にしてしまうから。
  • そもそも書く必要がない、書いてる人なんて少数だとか思ってるから。

まだまだありそうだけど、そんなとこ。

悩む前に書けというのがほとんどのブログ論の結論だけど、100記事薄っぺらい内容のコンテンツを放り投げてるのを見ると SNSでいいじゃんって思うのです。

行った場所・買ったもの・食べたもの・作ったもの・考えたことは、自分があの時何をしてたのか、どう思ってたか残したいから。 ただただ過ぎてく時間の中でカネと時間を使って忘れていくことが嫌だから、行動や頭の中を整理したいから。 もちろん整理されれば無駄も客観視できるようになるし、逆に好奇心もわく。

それは周囲がアクセスしなくても、興味なくても、完全な自己満として書けばいいことです。 いまやどうでもいいブログもSEO対策が施されているので、検索するとポジティブで整理された文章を綺麗なデザインで書き残している人ばかり目立ちますが ツラツラと日常や思うこと、愚痴、詩的なもの、完全なプライベート話など書いている人は何万といる。ただ自分が検索したワードに対して上がってこないだけ。 そういうブログはたいてい、FC2やアメブロはてななど無料ブログで書かれていることが多くて、WordPressが流行りだす前から書いてる人たち

無料ブログが弱いというより一部のWordPressブロガーの分析と対策が濃すぎるから、さほど面白くも深くもない記事ばかり目についてしまう。 登山、魚釣り、子育て、料理、デジモノ、ファッションの履歴の長い個人ブログなんて探すほうが大変になってしまったのだ。 ブログ書いてる人なんて一部の人間って思ってる人は、ちゃんと検索できてない(知る気もない)だけで、ブログじゃなくてもSNSで残してる人はその何倍もいます。

「書けない」のは何かが嫌だから、ブログの自分ルールから外れるから。

だったら雑記ブログにしてしまって、思うがままに書いていけばいい。「雑記ブログのすすめ」と題しながらも、上記のようなPVの多いブログが目に入ると「すげーまとまった記事しか書いてないじゃん」と思ってしまうし、「ブログ始めて●ヶ月の初心者です!」と書いてるわりには、SEO気にしたまとめ記事しか書いてないものも多い。

雑記ブログを書いている中で、いろいろ整理されてきて、改めて自分が好き・得意・もっと詳しくなりたいというテーマができたら 特化ブログに変えればいいと思う。

わたしはなぜか雑記ブログというのが続かない。関心としてはWeb、WordPress、旅行、買い物、食事、アウトドア...と広範囲になってしまって、マガジン風テーマで書いてそれなりのアクセスもあったけど止めてしまった。私はお出かけや買い物が多いのは自覚してたし、写真や発信のためにWebサービスを必死に模索してるときがあったので、残していきたい気持ちが強かったと思う。ビジネスや英語のことも書きたかった。

今では当たり前というか、胡散臭いビジネスにも利用される時代になったけど、10年前にノマド生活、車中泊の旅、二拠点生活、地方活性、ゆるふわ写真を書いてたことが本当にもったいないなーと悲しくなる。たまに古いフォルダから、イラストレーターを使えなかった私が必死に文字入れして作ったアイコンやバナーが出てくると本当に懐かしい気分になる。

その後海外からの不正アクセスで吹っ飛んでしまったり、移管失敗して消えてしまったり、自分の生活も不安定なので更新も続かない。 それでも記録をとってその時何を思ってそれを買ったのか、良かったのかを残していきたいと思っていて、いろんなサービスを使ってきたけど、 そもそも生活ベースに支障があってそんなこと思う、することが馬鹿らしくなってしまう。

そうやって空っぽの何をしていたのか分からない時間が過ぎた。

何があってもブログをエイヤーで消しちゃいけないという記事を見かける。鬱の人に多いらしい。 リセットしたい感情なのか、完璧主義で綺麗にまとまってないと1からやり直したくなる性分の人が多いのかわからないが。 ただ鬱の人ほどブログを書くことを勧められてます(悩みを書くことで整理して客観視できる)

だから誰のために何のためにってわけでもないし、キチンとまとめる気もないけど、このブログは残していこうとは思うのです。

ただ、本当に書くことがない、短文でしかまとまらないなら、TwitterFacebookで事足りるし、もっと書けないというならInstagramで十分でしょう。 むしろSNSの方がアクセスのないブログより反応があるし、それをブログ代わりにしてる人もたくさんいる。 ブログにするほどでもない感情ならTwitterが一番良いとは思う。Twilogを使えばブログ風にもなる。

何のためなのか、それが本望なのか、ハッキリしない以上は書けないと思います。 オススメしたい!教えたい!広めたい!と思ってれば書けるし、どっちでもいいと思ってれば大した内容の記事は書けません。

アクセスや稼ぎ狙いのブログなら、ターゲットとニーズを完全に把握して、自分のポリシーがブレないものに仕上げないと結果が出ません(実店舗だって同じこと) そしてどんな理由で、どんな規模にせよ、後に自分に返ってくるので、自分のためなんですよ。 返ってくるものが自分の成長なのか、稼ぎなのか、他人との繋がりなのか、注目を集めたいだけなのか、それは自分次第ですが。

田舎に来てから周囲でブログを書いてる人は少ないのですが、ルーティーンな生活を送って好奇心も追求心も消えてしまってる人と、身バレを怖がってるから。 気にせず発信する人は読者もSNSの反応も多いですが、いつも同じ身近な人からの反応です。 だから地方の暮らしブログは移住者がアクセスを集める。発見の感情と、外の人と繋がっていたい・知り合いたい感情が伝わるから。更新しなくなったら魂もろとも地に染まってしまったときなのかもね。私も身近なことより、世界旅のことを書きたいのはそういうことなんだと思う。