ヒビレコ

日々のことつらつらと。

映画22年目の告白-私が殺人犯ですが伝える日本

ストーリー

あらすじ:阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件が発生した1995年、三つのルールに基づく5件の連続殺人事件が起こる。担当刑事の牧村航(伊藤英明)はもう少しで犯人を捕まえられそうだったものの、尊敬する上司を亡き者にされた上に犯人を取り逃してしまう。その後事件は解決することなく時効を迎えるが、ある日、曾根崎雅人(藤原竜也)と名乗る男が事件の内容をつづった手記「私が殺人犯です」を発表し……。 シネマトゥデイより

藤原竜也が登場する映画にハズレはないという気持ちで見ていたからか、ちょっと退屈な映画だったような。 ずっと出てくる俳優が、曾根崎雅人/藤原竜也・牧村航/伊藤英明・仙堂俊雄/仲村トオル ばっかり。いろいろ「?」と感じる点もあるのに、仙堂がフリージャーナリストであったことを伝える場面が多くて、もういろいろすぐに分かってきてしまうという流れ。「わたしが犯人です」と序盤から登場してることが真犯人じゃないと言ってるようなもんなので、「誰が真犯人か」という点が問題ではないのでしょう。

実は斬新

映画の中ではしつこく22年間のニュース、メディア報道、曾根崎が現れたことへの国民の反応が描写されるが、違和感がない。 そこには、阪神大震災の映像、小泉首相ニュース、ニコ生、Twitter、LINEがフツーに描かれるからだ。正直1995年と思えないほど昭和感を感じたりもしたんだけど(とくに牧村の妹・拓巳カップルのルックスが)いろいろ忠実に再現していたと思う。 オリジナルではなくリアルなメディアを使ってるのは珍しくて、家でボーッとTVやネット上の騒ぎを見てる空気を作り出す。

仙堂はただのサイコパス

仙堂の犯行理由はPTSDという設定が腑に落ちない。 PTSDってのは生き残った罪悪感で抑うつ的になったりして、生きるエネルギーを失ってしまった人で、つまり牧村の妹のような状態。当時の紛争場所に戻って復讐するならまだしも、殺すことで大切な人を目の前で失った仲間を作って安定を図るためにデタラメに連続殺人を犯す気力はPTSDの人にないはずだ。

しかも仙堂はラストシーンで「生きる気力をなくした人間を殺すことほどつまらないものはなかった」と言う。これはただの快楽殺人者でしょう。

「The日本」を風刺したドキュメンタリー

事あるたびにメディアが過剰に取り上げ、ネット上ではニコ生、Twitter、LINEのテキストが流れ、「プリンス・○○様」と呼ばれ、サイコパスと呼びながらも犯罪者や遺族がが手記を出版すれば飛び付いて購入し、あっさり次の事件が起きれば過去のことになるという「いつもの日本」のくだらなさを映し出している。

不謹慎祭りの延長で”よくわからないけど暗黙の了解ってことで”ぐらいの扱いでタブー視される震災ネタと今でも苦しむ人(妹)の描写。

仙堂もまたISの日本人処刑から免れた人(とは言ってないが)設定になっている。

どんな出来事も時の人を過度に報道し、個人の推測とともに尾ひれを付けて拡散される。 ニュースでなくても「ネット上の時の人」つまり炎上した人への反応もまた同じ。

何を伝えたのだろう

この映画をボーーッと見てると何が言いたかった物語なのか分からない。暗くなるだけだ。 映画レビューを見て回っても俳優演技へのレビューばかりでストーリーから感じ取った所感がほとんどなかった。 残念ながら藤原竜也の熱すぎる演技でいつものくだらない日本へのメッセージが隠れてしまったように思える。

印象的なコトバ

心に大きな穴の開いた人間は、その穴を埋めるために本当に必死になる。君もそうだ。がむしゃらに頑張り続けずにはいられないだろ

曾根崎が仙堂の首を締めるシーンで、仙堂がこんなような(曖昧)なセリフがあった。 これは被害者や遺族に限ったことじゃない。些細なことでも傷を負ったと本人が感じれば誤魔化すように足掻いて生きるのは同じだ。

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